「お酒は18歳になってから。」  井口淳

<導入>

「お酒は20歳になってから。」

それって、何故なのでしょうか?

18歳になってから」でも良いのでははないのでしょうか?

そのような若者の声は、国政には届きません。

なぜならば彼らは国政に参加する権利すら与えられていないからです。

果たしてそれで良いのでしょうか!?

国家は、国民は、若者を守る法について、若者自身に考えさせる機会を与えるべきです!

 

<理念1>

私は本弁論において、一人の未成年者として、未成年者が不当に奪われている、守られるべき権利の回復を目指します。

そのためにも、まずは成人年齢の引き下げをすることによって、若者を国政に参加できるようにし、若者が自らの力で、現在奪われている権利について考え、自らそれらの回復を目指せる社会の実現を訴えます。

 

<現状分析>

現在未成年者は、様々な場面において、保護という名目でその権利を制限されています。

ここでは例として、主な3つの制限を紹介します。

1つ目は、保護者の同意無しでは、契約や結婚が出来ないということ。

2つ目は、選挙権がないこと。

3つ目は、飲酒や喫煙が禁止されているということです。

そしてこれらの制限は満20歳に達した時に外され、私たちは成人と認められます。

しかしこの20歳という線引きには、何ら合理的理由はありません。

例えば、契約行為や結婚の制限は、民法によってなされており「判断力が不十分であるから」という理由によって制限されていますしかし、判断力が不十分であるというのは極めて主観的であり、19歳と20歳において、判断力が不足している、足りていると言える根拠はありません。また19歳と20歳では、周囲の環境の変化というものも少なく、20歳には権利を与え、19歳には与えないという理由もありません。

選挙権については、憲法において、「成年者による普通選挙を保障する」と定められており、現在は、民法上での、20歳成人に従っています。

ですから、これについては今20歳と定められているのは自然の流れであるといえます。

しかしながら、先ほど説明しましたように、民法上で成人を満20歳に達した人と定めることは妥当とは言えないため、選挙権についても、現在の線引きは妥当とは言えません。

また飲酒喫煙が健康に与える害で線引きするとしても、20歳よりも前の段階で線引が出来るのです。

まず飲酒ですが、アルコールの影響によるけがや、

アルコール依存症の人の割合は、15歳から18歳にかけては急激に低下、つまり若ければ若いほど危険性がとても高い傾向にあるのですが、

18歳以降は、なだらかな低下傾向となります。よって18歳のところで線引きができます。

次に喫煙ですが、喫煙開始年齢と肺がん発生率の関係について、17歳以下であれば肺がん発生率が非常に高いのですが、18歳や19歳と20歳では殆ど差はありません。

ですからこれも18歳で線引きが出来るのです。

このように、現在の20歳という線引きは不自然であり、これは若者の権利を不当に侵害していると言えます。

 

<問題分析>

これは、とても深刻な問題です。

なぜならば日本は、国民の権利を、最大限に尊重しているからです。

私達は、私たちの自由を守り続けるために、憲法によって、私達の自由を、基本的人権として、奪われないように最大限尊重することを決めたのです。

現在私達が当たり前のように行使している自由というのは、それを憲法によって規定しているからこそ行使できるのだということを、私達は忘れてはなりません。

また私達はその自由を奪われることのないよう、私たち自身の努力によって保持し続けることを憲法によって決めたのです。

であるのに、現在20歳未満の若者に対しては、その努力を怠ってしまっているがために、その権利が制限されてしまっています。

 

<理念2>

私たちは、積極的であれ消極的であれ、憲法を保持し、自由を尊重する日本国民として、この問題に対し敏感でなければなりません。

だからこそ私は、若者の権利の回復のため、成人年齢の引き下げを訴えるのです。

 

<原因分析>

ではなぜこの問題は、今に至るまで解決に至っていないのでしょうか。

私は、この原因が、20歳成人制が日本国憲法の施行以前から存在するものであるからというところにあると考えます。

そもそも20歳成人というのは、明治時代に民法で定められたものです。つまり、現在の、国民を尊重する日本国憲法が制定される前から、日本に浸透していたものなのです。ですから、20歳成人というのは日本においては、半ば「当たり前のこと」として概念化しており、その正当性が問われなかったのだと考えられます。

 

<プラン>

私は、ここで、2つのプランを提案します。

1つ目は成人基準の引き下げ、

2つ目は成人教育の実施です。

まず1つ目の、成人基準の引き下げについてですが、民法上での成人基準、選挙権を与える時期の引き下げを行います。

新しい成人は、「16歳になる年度を迎えた人」とします。

つまり、義務教育の課程を終えた人となります。

義務教育において国家及び国民は、子供たちに、社会で自立して生きる為の基礎を学ばせ、国家及び社会の形成者として必要とされる資質を養うとしています。

つまり、義務教育が終わった時点で私たちは、契約や選挙などで判断を行う上で必要な基礎を備えており、成人として認められて問題ないのです。

次に2つ目のプランについてですが、中学校での教育内容に成人教育を追加します。

成人教育とは、中学卒業後に成人となる中学生に、成人としての自覚を促す目的で、

成人と未成人の違いや、それによって発生する権利と責任を教えるものです。

今までは、成人年齢が20歳であったために、成人となる人に対してその自覚を促すような教育はされてはいませんでした。

しかし、成人するというのは、今まで保護の目的で制限されてきた権利を与えられ、それを行使する上で発生する責任を負うことなのですから、今まで権利を制限してきた国家および国民は、成人を迎える未成年者に対して、その自覚を促す必要があるのです。

これら2点のプランにより、私は若者の権利の回復を訴えます。

またこの場では、私は若者の飲酒喫煙の権利については、プランの提案は致しません。

それは、飲酒・喫煙の権利については、成人年齢の議論とは切り離すべきであると考えるからです。

今までは飲酒・喫煙の権利は成人と共に与えられていました。

しかし飲酒・喫煙は、必ずしも当人に十分な判断ができるかどうかということで認めるべきかどうかが決められるものではなく、

また必ずしも成人だから認めるべきというものでもありません。

ですからこれは、プラン導入後の社会の中で、少年法の問題などとも併せて、その法の当事者である若者自身が、それらをどう扱うべきか考え、参政権をもつ国民として、国政に問うべきであると私は考えます。

プランを導入した後の社会では、若者に、20歳となった大人達によってのみ定められてきた法について、自らも考えることが求められるのです。

 

<締め>

「お酒は20歳になってから。」

今までは、20歳を過ぎた人々が、そう定めていました。

しかし、いつか「お酒は18歳になってから。」と

18歳にも満たない若者が、自分たちの為に、それを定めようとする。

そんな時代が来ることを、私は願っています。

ご静聴ありがとうございました。

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