「Let me decide」

[導入]

「もってあと6カ月です。」医者からの悲痛なる余命宣告。

10年前、私の祖父はガンにかかりました。

意識も覚束ず、腕には多くの針が刺され、生きているのではなく、「生かされている」当時8歳だった私の目にはそう映っていました。

痛みは感じられるのでしょう、祖父の苦悶の声と、それを見るだけで何もすることができず、苦悩する祖母の嗚咽が病室に毎日のように響いていました。

祖母は憔悴しきっていました。

その時、祖母は涙をこらえた声でこうつぶやいたのです。

「じいちゃん、ラクにしてあげてもええよね。もうこんなに頑張ったんやけん。」

それから1カ月後、祖父はこの世を去りました。

あの時の祖母の「ラクにしたい」とは一体何だったのか。

それは、延命治療をやめ、祖父を絶えがたい苦しみから解放したい、そういう意味だったのです。

祖父も生前、もし終末期状態になった場合、「ラク」にするよう周りに伝えていました。

しかし、祖父の思いはかなわず、最期の最期までもがき、苦しみ、この世を去ったのです。

[理念1]

終末期の祖父は、最期を選択することができなかった。

祖父には正式に意思を伝える場がなく、自分で決定を下すことができなかった。

私は、人には自分で自分の最期を決定してほしいのです。

つまり、終末期状態における患者の自己決定権を尊重し、安楽死をも選択肢として含むことで、よりよい最期、ひいてはよりよい人生を歩んでほしいのです。

[現状]

では、祖父と同じように終末期(病状が良くならず、かつ悪くなる一方で、現代の医療では近い将来死が避けられないと推測される状態)になった場合どうするか、ということに関して2010年、朝日新聞において世論調査が行われました。

単なる延命治療を希望しない人は全体の81%もいました。

現在では無意味な延命治療を行わず、余命を自宅、ホスピスで過ごすという「終末期ケア」つまり、尊厳死・消極的安楽死は医療行為として認められています。

一方、人工呼吸器の取り外しや、投薬による人為的な生命短縮などの積極的安楽死は、「殺人」に抵触するのではないかということで認められていない現状があります。

にもかかわらず、現に先ほどの世論調査では積極的安楽死を選択してもよいと考える人は全体の70パーセントもいます。

ちなみに本弁論では積極的安楽死を安楽死と呼びます。

現在、法的に認められていないにもかかわらず、終末期の患者を見るに耐えかねた家族が、医者に安楽死実行を要求し、実行し、事件となった事例、家族が患者に安楽死を行った事例がいくつもあります。

(安楽死を実行したことで事件となった有名なものとして昭和37年の名古屋安楽死事件や、平成7年の東海大安楽死事件、平成19年の川崎協同病院事件があります。)

終末期の患者は、はなはだしい肉体的・精神的苦痛を味わう絶望的な状態です。

結局、安楽死事件の、善意で安楽死を行った医者や家族は、殺人罪、同意殺人罪として有罪となりました。

[問題点]

私が問題としているのは、安楽死が認められていないこと。

すなわち、安楽死を望む終末期の患者の自己決定権が尊重されていないことなのです。

自分の人生の最期において、どういう処置をとるべきかということを、我々は健康な状態のときに考える必要があるのではないでしょうか?

人は、いつか必ず死ぬということを考えなければ、生きているということを実感することができないのではないでしょうか?

人は、必ず死ぬのです。死は他人事ではありません。

[原因]

では、なぜ安楽死は法的に認められていないのでしょうか。

それは、ある人間(法益主体)がその命(法益)を終わらせる意思を表しても、命(法益)を守らねばならないという意味での「生命至上主義」が刑法の前提としてあるからです。

それではこれを安楽死にあてはめて考えてみましょう。

刑法では「生命はすべて平等」という前提、命の価値は失われるものではない前提があります。

よって、本人が命(法益)を終わらせる安楽死を望んだとしても、安楽死を法的に認めることはできないのです。

[理念・重要性]

本弁論の目的は、最期を決定する権利を患者に与え、安楽死をも選べるようになり、終末期状態の患者の自己決定が尊重されることです。

死とはその人の人生の完結であります。完結に向かうための決定権はその人以外に持っているはずなどないからです。

私は終末期患者の多くに、よりよい最期を迎えてもらいたいのです。

[プラン]

それでは、安楽死が法的に認められていないことで終末期患者の自己決定権が尊重されていない問題を解決するために2つのプランを述べたいと思います。

1点目は自分の最期を決定するリビング・ウィルに法的効力を持たせること。

2点目は安楽死を合法化することです。

(プラン1)

1点目についてですが、現在リビング・ウィルというのは法的に認められていないため、決まった書式・内容はありません。

1つの例として、尊厳死を推進する日本尊厳死協会が特定の用紙を発行し、その協会の会員になった後、書くことができるというものがあります。

代表的な書き方は、「延命処置はしないで欲しい」、「苦痛を和らげる処置は最大限にして欲しいなど尊厳死を望むものが主流となっています。

そしてこのリビング・ウィルを、患者が終末期になったら主治医に提出することになっています。

日本尊厳死協会の調査によりますと、医者の95パーセント以上はそれを尊重するとしており、終末期状態においては患者の意思を尊重していると分かります。

よって、私はこのリビング・ウィルの内容を、「延命治療を続けるか否か」、「消極的安楽死を選ぶか否か」、「積極的安楽死を選ぶか否か」の3点とします。

そして、20歳以上の人はこれに記入することを原則義務化し、厚労省を中心に地方自治体に管理させます。プロセスとしては、リビング・ウィルを郵送し、周囲の人の様々な意見を参考にし、最終的に個人が決定を下し、記入するようにします。

そしてそれを本人が役所に持っていき本人確認の後、受理され、コピーを本人が管理することとします。

さらに、個人が望んだ時に更新できるようにします。

そして、現行リビング・ウィルと同様に、終末期状態になった場合、主治医に提出するようにします。

それから医者と話し合い、最終的に決定します。

もし、植物状態等、患者に意識がない状態の場合は、患者が事前に書いていたリビング・ウィルをその患者の決定と判断し、対応します。

これにより、患者の自己決定権が尊重されるとともに、個人が自分の死について考えるようになります。

これで、安楽死を実行した場合、殺人罪に問われることはありません。

しかし、これだけでは同意殺人罪に問われる可能性はぬぐいきれません。よって2点目のプランによってこの問題を解決します。

(プラン2)

では、2点目についてですが、以下の4点がそろったとき、(刑法第202条)同意殺人罪の例外規定とし、安楽死実行を認めます。

1 終末期状態であること。

2 生命の短縮を承諾するリビング・ウィルがあること

 医師の手によって実行されること

4 二人以上の医師が診断し、立ち会うこと

です。

なぜ、医者が安楽死を実行するのかということに関して説明します。

まず、医者の仕事は、患者を治療し回復に向かわせることにあるのはもっともです。

しかし、今後医者はそれだけでなく、終末期の患者の望む最期を、実行する役割も持っていてほしい、そう考えております。

なぜなら、医者が最も人の生・死に近い存在であるとともに、現在終末期状態を診断しその後の処置をとるのは医者であるからです。

なお、安楽死容認に至る過程、安楽死実行の現場は記録媒体によって保存され、家族や司法界からの要望があれば公開します。

以上プラン1点目、2点目を満たした時、殺人罪、同意殺人罪に医者は問われることはありません。医療行為すなわち正当業務行為として認められます。

(医師の55%の人は安楽死に肯定的であるため、私のプランは医療現場においても十分納得されるものです。)

[終わりに]

人は、ある難題にぶつかった時、それを耐え抜けば未来がある、そう思うから、耐えることができるのです。

しかし、終末期患者には耐え抜いても死しか待っていません。

患者本人が終末期になった場合に安楽死を望むのであればそれを尊重しようではありませんか。

2070年、松本有輝也79歳、余命6カ月、苦痛の中私はこう叫びます。

「Let me decide 俺の人生だ。俺に決めさせろ。」

「自分自身の選択」が尊重され、多くの人が「いい人生だった」そう言える世の中の到来を願い本弁論を終了させていただきます。

ご静聴ありがとうございました。

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